今年もあとわずか。
振り返ると、怒涛の如く過ぎ去り、走り続けた一年でした。
この謡隊も実質の継続の年となり、各地域でその形態が模索されましたが、
どれ一つとして同じ形なく、その土地ごとの謡隊があることは、
改めて客観的にみると、大変おもしろいものだと感じています。
その違いが、果たしてその土地のお人柄の表れかどうかはまだわかりません。
とにかく毎回毎回、様々な事件や出来事が絶え間なくに起こることは、
大変なことではありますが、我々を成長もさせてくれました。
年を重ねるごとに強く感じることは、謡隊目指すところの志と、
時代の流れが急速に距離を広げていることです。
この先、近い将来、謡隊で伝えている「伝統」の意味が理解できない、
価値を感じない若い人々が世の中の占有率を高めていくのだろうと感じています。
デジタル化の波は強烈で、猛烈な速さで人間の生活に入り込んでいます。
効率化の社会、消費型の生活…。
どんなにあがいても、きっとこの時代の流れに逆らうことは無理でしょう。
時に、どんな危機感を持ちながらやっていても
無駄に終わってしまうことに恐れてしまいます。
何の意味があるのだろう?
こんな思いをしても理解してくれる人がいったい何人いるのだろう?
すべては無駄なのではないか?
いったい何が残るのか?
強固な意志があっても、迷うのは当然ですし必要なことでしょう。
なぜなら迷うことで、より深く掘り下げて考えることができるからです。
迷った後、どうするか?
やはり原点に戻ることではないでしょうか。
さんざん考え、複雑になってしまったことをシンプルに戻すのです。
戻ると次の道が見えてきます。
やめてしまったらそこでお終い。
中途半端が一番よくない。
人間は生き物です。
決してデジタル化はできません。
それとも、そんなバーチャルな世界がお好きですか?
この波の中で育っているこどもたち。
一体全体どんな大人になり、どのような日本をつくっていくのか?!
誰にもわからないのです。
だからこそ、この過渡期である現在の大人の判断が非常に重要であることを、
特にお子さんを実際育てていらっしゃる親御さんたちに感じてほしい。
大いに責任の重大さを感じて下さい。
迷った時は、謡隊にどうぞ。
日本の伝統を五感フル活動で感じ、「生きる力」を学ぶ「謡」つながりのコミュニティの創出と新たな価値観の創造を実践します。 全国各地で展開する「能楽謡隊」の各地の活動を紹介し、メンバー相互の交流を図りながら、活動中に生まれる素敵なお話を綴ります。
2010年12月31日金曜日
2010年12月14日火曜日
子どものモチベーション
子どもは基本的に未熟なものです。
考えてみれば当たり前のことですね、成長の段階ですから。
身体はもちろんのこと、精神面にいたっては大人ですら未熟なところは多々。
どんなに年を重ねて様々な経験をしても日々学ぶことを人間は一生し続けています。
生物とはそういうものなのかもしれません。
大人が未熟であっても、はっきりしているのは、子どもより未熟ではない、ということです。
さらに、未熟な子どもには導きが必要です。
その導きの先頭に立つのは、親ですね。
子育ての中で、最近よく聞く言葉は「子どもがやりたいものをやらせたい」です。
良き時代となりました。
一昔前では、職業の自由すらなかった日本です。
さて、みなさんに問いかけです。
「子どものやりたいもの」ってなんでしょうか?
そして子どもの「やりたい」の価値判断の根拠は何でしょうか?
それは常に定まっているものでしょうか?
逆に問います。
「子どもの嫌がること」ってなんでしょうか?
子どもの「嫌がる」の価値判断の根拠は何でしょうか?
普段の生活の小さなことから将来につながる大きなことまで、
対象は様々で、中々一概には申せません。
今の時代に逆行しているかもしれませんが、
謡隊では子どもが嫌がっても、必要なものがあると考えています。
具体的にそれは、正座であったり、きちんとすることであったり、「我慢」であったり・・・。
時には子どもにとって不条理な課題があってもいいのではないでしょうか。
とにかくやってごらん。
それが問題解決の第一歩、踏み出さないとなにも生まれはしないし、
物事は進まないのです。
大人もそうですが、子どものやる気には波があります。
今日なくても、明日はある。
今日あっても、明日はない。
大変表層的なものに過ぎません。
「軸」を支えるのは親の役割です。
子ども独特の「波」に翻弄されないようにご注意下さい。
考えてみれば当たり前のことですね、成長の段階ですから。
身体はもちろんのこと、精神面にいたっては大人ですら未熟なところは多々。
どんなに年を重ねて様々な経験をしても日々学ぶことを人間は一生し続けています。
生物とはそういうものなのかもしれません。
大人が未熟であっても、はっきりしているのは、子どもより未熟ではない、ということです。
さらに、未熟な子どもには導きが必要です。
その導きの先頭に立つのは、親ですね。
子育ての中で、最近よく聞く言葉は「子どもがやりたいものをやらせたい」です。
良き時代となりました。
一昔前では、職業の自由すらなかった日本です。
さて、みなさんに問いかけです。
「子どものやりたいもの」ってなんでしょうか?
そして子どもの「やりたい」の価値判断の根拠は何でしょうか?
それは常に定まっているものでしょうか?
逆に問います。
「子どもの嫌がること」ってなんでしょうか?
子どもの「嫌がる」の価値判断の根拠は何でしょうか?
普段の生活の小さなことから将来につながる大きなことまで、
対象は様々で、中々一概には申せません。
今の時代に逆行しているかもしれませんが、
謡隊では子どもが嫌がっても、必要なものがあると考えています。
具体的にそれは、正座であったり、きちんとすることであったり、「我慢」であったり・・・。
時には子どもにとって不条理な課題があってもいいのではないでしょうか。
とにかくやってごらん。
それが問題解決の第一歩、踏み出さないとなにも生まれはしないし、
物事は進まないのです。
大人もそうですが、子どものやる気には波があります。
今日なくても、明日はある。
今日あっても、明日はない。
大変表層的なものに過ぎません。
「軸」を支えるのは親の役割です。
子ども独特の「波」に翻弄されないようにご注意下さい。
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