子どもは基本的に未熟なものです。
考えてみれば当たり前のことですね、成長の段階ですから。
身体はもちろんのこと、精神面にいたっては大人ですら未熟なところは多々。
どんなに年を重ねて様々な経験をしても日々学ぶことを人間は一生し続けています。
生物とはそういうものなのかもしれません。
大人が未熟であっても、はっきりしているのは、子どもより未熟ではない、ということです。
さらに、未熟な子どもには導きが必要です。
その導きの先頭に立つのは、親ですね。
子育ての中で、最近よく聞く言葉は「子どもがやりたいものをやらせたい」です。
良き時代となりました。
一昔前では、職業の自由すらなかった日本です。
さて、みなさんに問いかけです。
「子どものやりたいもの」ってなんでしょうか?
そして子どもの「やりたい」の価値判断の根拠は何でしょうか?
それは常に定まっているものでしょうか?
逆に問います。
「子どもの嫌がること」ってなんでしょうか?
子どもの「嫌がる」の価値判断の根拠は何でしょうか?
普段の生活の小さなことから将来につながる大きなことまで、
対象は様々で、中々一概には申せません。
今の時代に逆行しているかもしれませんが、
謡隊では子どもが嫌がっても、必要なものがあると考えています。
具体的にそれは、正座であったり、きちんとすることであったり、「我慢」であったり・・・。
時には子どもにとって不条理な課題があってもいいのではないでしょうか。
とにかくやってごらん。
それが問題解決の第一歩、踏み出さないとなにも生まれはしないし、
物事は進まないのです。
大人もそうですが、子どものやる気には波があります。
今日なくても、明日はある。
今日あっても、明日はない。
大変表層的なものに過ぎません。
「軸」を支えるのは親の役割です。
子ども独特の「波」に翻弄されないようにご注意下さい。
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